ネッシー

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ネス湖畔のネッシー博物館にあるネッシーのイメージ銅像

ネッシー(英: Nessie)は、イギリス、スコットランドのネス湖で目撃されたとされる、未確認動物「ネス湖の怪獣 (Loch Ness Monster、ロッホ・ネス・モンスター)」の通称。未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきた。

概要[編集 | ソースを編集]

記録として残されている最古の記録は西暦565年、アイルランド出身の聖職者コルンバの生涯に関する伝記中で言及された、ネッシーの発見報告である。当時コルンバは、スコットランド北部の異教徒へのキリスト教布教活動を精力的に行っており、その半ばイギリス最大の淡水湖であるネス湖でネッシーと遭遇したという。以来、多くの発見報告がなされてきた。

特に1933年以降、ネス湖で多くの目撃例が報告され、写真や映像が公表されてきた未確認動物。「ネッシー(Nessie)」の通称は世界的に使われるが、日本においては特にこの名が浸透している。科学の進歩で謎や不思議の少なくなった20世紀において、未確認飛行物体と並ぶ最大級のミステリーとして語られてきた。

その正体については諸説が提唱されてきた。目撃談や写真に捉えられた形状から、恐竜時代に栄えた大型水棲(すいせい)爬虫類である首長竜プレシオサウルスの生き残り、あるいは世代を経て進化した姿という説が、古くから最も知られている。太古に絶滅したとされる大型獣が生存していたとすれば大きなニュースであり、ロマンをかき立てられる話題でもあることから、期待を込めて支持を集めてきた面もある。他には竜脚類の生き残り説や魚類説など、多数ある。

しかし、目撃証言や写真・映像の多くが、既知動物(鰻やアルパカ)や船舶、流木、航跡、または波動など自然現象の誤認であるか、あるいは捏造(ねつぞう)と判定され、大型獣が生存している可能性を否定する動物学者は多い。

目撃史[編集 | ソースを編集]

史上最古の記録は、690年頃にアダムナーンが書いた聖コルンバの伝記『聖コロンバ伝』(VitaColumbae)とされる。文中でアダムナーンは、565年に目撃されたネス川の怪物のことについて記述している(なお、ネス川はネス湖に直接接続していない)。ただしこの伝記はコルンバの死後、その事績について箇条書き的に羅列しただけのもので日付も時系列も曖昧なため、当時の出来事を正確に記したものではない。

目撃例が飛躍的に増えたのは1933年以降で、これはネス湖周辺の道路がこの頃整備されたためとされる。同年5月、湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻による目撃談が新聞報道され、話題を呼んだ。なお、これは『キングコング』がスコットランドで公開されたわずか4日後であった(同作にはネッシーと特徴が共通する竜脚類が登場する)。11月にはヒュー・グレイによる最初の写真が撮影、公表された。1934年4月にはいわゆる「外科医の写真」(後述)が『デイリー・メール』紙に掲載され、大きな反響があった(1990年代になって、前述のマッケイ夫人による、グレイ写真以前の撮影とされる写真が公表されている)。

その後も現在に至るまで多くの目撃例があり、写真や映像も撮影されてきた。1951年のラクラン・スチュアートによる写真は、ネッシーの背中の三つのコブと思しき物体が捉えられており有名である。1955年、P・A・マクナブ撮影の写真は、湖岸のアーカート城跡が写り込んでおり、それとの比較でネッシーの大きさが、湖面に出ているだけでも10 - 15メートル以上と推測できる貴重な写真とされる。

映像では1960年、著書『ネス湖の怪獣』(大陸書房)で知られるネッシー研究家ティム・ディンスデールにより撮影された、対岸に向かって泳ぐネッシーを捉えたとされるフィルムが有名。また、1975年にボストンの応用科学アカデミー研究チームにより撮影された、ネッシーのほぼ全身と、頭部のアップを写したとされる水中写真は世界的なニュースとなった。

目撃例や写真は、水面に頭部や背中のように見える突起物が移動するところや、湖畔を巨大な姿で移動するもの、更には陸上に上がったところなど、さまざまである。このため、普段は水中に住むが、時々水面に頭などを出すのではないかとの説もある。サッチャー政権下のイギリスでは、ネッシーの保護が検討されていたともいわれる。

2005年3月頃、ネス湖の湖畔で、シカの死体とともに長さ10センチメートルほどの牙状のものが見つかっており、一部ではこれをネッシーの牙として、なおも存在を信じる人々がいる。

「外科医の写真」とその真相[編集 | ソースを編集]

ロンドンの外科医(実際は産婦人科医)、ロバート・ケネス・ウィルソンは、その主張によると、1934年4月の早朝、友人と共に鳥の写真を撮りにネス湖を訪れ、突然湖面に現れたネッシーを、持っていたカメラで撮影した。この写真は『デイリー・メール』紙に掲載され、「外科医の写真」と称されて話題を呼んだ。岸が写っておらず、ネス湖を撮影したという確証はなかったが、首長竜を思わせる長い首が写されており、長らくネッシーの代表的写真として知られてきた。

ファイル:Loch Ness Monster-1.jpg
外科医の写真。長らくネッシーの代表的写真として知られていた。

しかし1993年11月、クリスチャン・スパーリングが死の間際に、この写真がトリックであったと告白した。告白によると、首謀者は彼の養父マーマデューク・ウェザラルであり、彼らは、自ら発見したネッシーの足跡を偽物と判定された意趣返しに、おもちゃの潜水艦に30センチメートルほどのネッシーの首の模型を付けた物を撮影したという。そして、知人であるウィルソンの医師という社会的地位に目をつけ、偽証を依頼したとのことである。エイプリルフールのジョークのつもりだったが、世界的な話題になったことで引くに引けなくなったとのことである。この告白は翌1994年3月、イギリスの『サンデー・テレグラフ(英語版)』紙に掲載された。

なお、スパーリングの告白以前からこの写真はネッシー肯定派からも証拠としての価値へ疑問が提示されていた。「外科医の写真」は、既に1960年代より、写真に写る波の大きさや形状から、被写体が大型生物ではなく、数十センチメートル程度の物体であることが指摘されており、水鳥やカワウソの尾の誤認説が唱えられてきた。また1980年代には、研究者により、対岸が写った元の写真が発見された。これにより被写体が実際に小さかったことが証明されたのみならず、公表者が被写体の小ささを隠すために、意図的にトリミングした写真を公開した疑いも指摘された。

日本での話題[編集 | ソースを編集]

日本においても最も知られた未確認動物であり、テレビ番組や雑誌等でしばしば取り上げられた。国内で目撃証言のある類似の未確認動物に「〜ッシー」という命名が盛んにされた(池田湖のイッシー、屈斜路湖のクッシーなど)他、特撮ドラマ等の怪獣や漫画のストーリー、登場メカの題材にもなった。日本に中国からパンダが贈呈された当時の世論調査で、ネッシーがパンダの次に日本に来て欲しい動物に選ばれている。石原慎太郎はネッシーの存在を信じており、何度か捜索隊を組んでネス湖を調査している。

1977年に日本の漁船がニュージーランド沖で未確認動物の腐乱遺骸を引き揚げ話題となったが、これに「ニューネッシー」の名がつけられた(後にサメ類であると結論付けられ、ウバザメ説が有力であるが、サメの体にはない物質もあったと結論付けられている)。ネス湖で目撃されるから「ネッシー」なのであり、このネーミングは不合理だったが、日本でネッシーの名が未確認水棲獣の代名詞であったことの傍証ともいえる。しかし、1980年代以降、メディアへの登場は徐々に減っていった。

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