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ネッシー
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== 目撃史 == 史上最古の記録は、690年頃にアダムナーンが書いた聖コルンバの伝記『聖コロンバ伝』(VitaColumbae)とされる。文中でアダムナーンは、565年に目撃されたネス川の怪物のことについて記述している(なお、ネス川はネス湖に直接接続していない)。ただしこの伝記はコルンバの死後、その事績について箇条書き的に羅列しただけのもので日付も時系列も曖昧なため、当時の出来事を正確に記したものではない。 目撃例が飛躍的に増えたのは1933年以降で、これはネス湖周辺の道路がこの頃整備されたためとされる。同年5月、湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻による目撃談が新聞報道され、話題を呼んだ。なお、これは『キングコング』がスコットランドで公開されたわずか4日後であった(同作にはネッシーと特徴が共通する竜脚類が登場する)。11月にはヒュー・グレイによる最初の写真が撮影、公表された。1934年4月にはいわゆる「外科医の写真」(後述)が『デイリー・メール』紙に掲載され、大きな反響があった(1990年代になって、前述のマッケイ夫人による、グレイ写真以前の撮影とされる写真が公表されている)。 その後も現在に至るまで多くの目撃例があり、写真や映像も撮影されてきた。1951年のラクラン・スチュアートによる写真は、ネッシーの背中の三つのコブと思しき物体が捉えられており有名である。1955年、P・A・マクナブ撮影の写真は、湖岸のアーカート城跡が写り込んでおり、それとの比較でネッシーの大きさが、湖面に出ているだけでも10 - 15メートル以上と推測できる貴重な写真とされる。 映像では1960年、著書『ネス湖の怪獣』(大陸書房)で知られるネッシー研究家ティム・ディンスデールにより撮影された、対岸に向かって泳ぐネッシーを捉えたとされるフィルムが有名。また、1975年にボストンの応用科学アカデミー研究チームにより撮影された、ネッシーのほぼ全身と、頭部のアップを写したとされる水中写真は世界的なニュースとなった。 目撃例や写真は、水面に頭部や背中のように見える突起物が移動するところや、湖畔を巨大な姿で移動するもの、更には陸上に上がったところなど、さまざまである。このため、普段は水中に住むが、時々水面に頭などを出すのではないかとの説もある。サッチャー政権下のイギリスでは、ネッシーの保護が検討されていたともいわれる。 2005年3月頃、ネス湖の湖畔で、シカの死体とともに長さ10センチメートルほどの牙状のものが見つかっており、一部ではこれをネッシーの牙として、なおも存在を信じる人々がいる。
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