かごめかごめ
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概要[編集 | ソースを編集]
かごめかごめは、こどもの遊びの一つ。または、その時に歌う歌。「細取・小間取(こまどり)」「子捕り・子取り(こどり)」「子をとろ子とろ」とも言う。 「目隠し鬼」などと同じく、大人の宗教的儀礼を子供が真似たものとされる。歌詞が表現する一風変わった光景に関しては、その意味を巡って様々な解釈がされている。作詞・作曲者は不詳である。
歌詞[編集 | ソースを編集]
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?
解釈に際しては、歌詞を文節毎に区切り、それぞれを何かの例えであると推定し、その後で全体像を論じる形をとっているものが多い。以下に一部を紹介する。
「かごめ」[編集 | ソースを編集]
- 籠目、すなわち竹で編まれた籠の編み目を表す。
- 「囲め」が訛ったもの。つまり、かごめ遊びをする際に、皆で「囲め、囲め」と呼び合っている。
- 「屈め」が訛ったもの。つまり、かごめ遊びをする際に、オニに対して「屈め、屈め」と言っている。
- 籠目の形、すなわち六角形のことである。
- 籠目の形、すなわち六芒星のことである。
- 「籠女」と書き、見た目が籠を抱いているような女性、すなわち妊婦のことである。
- 処刑場を囲んだ竹垣を表している。
- 「かごめ」は「神具女」(かぐめ)若しくは「神宮女」(かぐめ)である。即ち、神の雰囲気を具える女、日本で古くから厚く信仰されていた祈祷を行う「巫女」(ミコ、預言者)や「斎宮」の意味である。
- 籠目の神紋、つまり「亀甲紋」「二重亀甲」を指している
「かごのなかのとり」[編集 | ソースを編集]
- 「籠の中の鳥」であり、当時の風俗から考えて鳥は鶏である。
- かごめ遊びの中で、オニとなった人を「籠の中の鳥」に喩えている。
- 「籠の中の鳥居」と解釈し、籠に囲まれた小さな鳥居、もしくは竹垣に囲まれた神社を表している。
- ある点を籠目の形(六角形または五芒星)に結んで出来た図形の中心に存在する物を指している。
- 籠目の形をした空間の中心に存在する物を指している。
- 籠女(妊婦)の中にいるもの、つまり胎児のことを指す。
- 子供のことである。
- 「とり」=トリをとる人。祭り等で、最後の締めをやる人。最後尾に就いて、取り溢しが無いように皆を追い上げて、締めをする人。
- 籠目の中に鳥に関連する絵が描かれた紋章、「二重亀甲違い鷹の羽」「亀甲に違い鷹の羽」「亀甲に鶴の丸」等といったものを指している
「いついつでやる」[編集 | ソースを編集]
- 「何時、何時、出会う」であり、「何時になったら出会うの?」「いつになったら出て来るの?」と疑問を投げかけている。
- 「何時、何時、出遣る」であり、「何時になったら出て行くの?」と疑問を投げかけている。
- 「何時、何時、出遣る」であり、「何時になったら出て行けるの?」と疑問を投げかけている。
- 「何時、何時、出遣る」であり、”それ”が「いつ、出現するか?」「いつ、出て来るのか?」と疑問を投げかけている。
- 「何時、何時、出やる」であり、「何時になったら出るのかな?」と疑問を投げかけるのであるが、「出やる」の「やる」は西日本で、目下の者や愛玩動物に対して親しみを込めて使う敬語的語彙であり、共通語で的確な訳語がないが、「出やがる」に親しみのニュアンスを持たせたとでも云うべき意味を持つ。
「よあけのばんに」[編集 | ソースを編集]
- 「夜明けの晩」つまり「夜明け=夜の終り、朝の始まり」「晩=夕暮れ、夜」であり、「真夜中過ぎ」を指している。
- 「夜明けの番人」であり、籠の中の鳥、つまり鶏のことである。
- 「夜明けの晩に」は「夜明けから晩に至るまで」という意味であり、「朝早くから夜遅くまで」という時間の経過を表している。
- 「夜明けの晩」つまりは光を見る前であり、胎児からの視点では臨月に当たる。
- 「夜明け」は夜が明けたときで、「晩」は夜のこと。つまり「夜明けの晩」とは「存在しない時間」のこと。
- 「夜明けの晩」つまり「夜明け」の「晩=終り(朝が始まりなら晩は終り)」であり、「夜が明ける終りの部分」つまり「日の出=日光を見る(日光東照宮の方向を見る)」を指している。
- 「夜明けの晩」つまり「夜明けとも言える晩」であり、午前4時前後の時間帯を指している。
- 「朝」と「晩(夜)」、対称的な物事の象徴を指している
「つるとかめがすべった」[編集 | ソースを編集]
- 「鶴と亀が滑った」であり、縁起の良い象徴の2つが滑るということで、吉兆(もしくは凶兆)を表している。
- 「鶴と亀が統べた」であり、鶴および亀に象徴される為政者(または建造物)を表している。
- 「鶴と亀が統べった」であり、鶴および亀に象徴される為政者が、「統治した」と「滑った」を掛けてある。
- 京都に伝わる童謡の歌詞「つるつる つっぱいた」が変化したもので、「ずるずると引っ張った」という意味である。
- 清元節の浄瑠璃「月花茲友鳥」より、「つるつるつるつっぱいた」が変化したもので、「するすると突っ込んで入っていった」という意味である。
- 「鶴と亀が滑った」であり、長寿の象徴である2つが滑るということで、死を表している。
- 敦賀と亀岡を統べるで明智光秀が統治。
- 「鶴と亀」とは、日光東照宮御宝塔(御墓所)の真前に(側近くに)置かれている「鶴(飛ぶ=天)」と「亀(泳ぐ=海)」のことであり、徳川家康の側近つまり天海が「統治する(陰で操る)」という意味である。
- 「天の象徴」と「地上の象徴」、対称的な物事を例えている。
- 対称性が崩れる、対称性が破れることを指している。
「うしろのしょうめん だあれ」[編集 | ソースを編集]
- 「後ろの正面」は、真後ろを表し、「真後ろにいるのは誰?」と問うている。
- 「後ろの正面」は「鬼」の背面(背中側)を指す。
- 「後ろの正面、誰?」は、「後ろを向いた時に正面に居る人は誰?」との意味。転じて、逆の存在・影の指揮者・取り憑いていた存在等を表す。
- 「表」と「裏」といった対称的な物事を例えている
- 江戸時代、京都で「正面」と言えば方広寺大仏殿を指し、正面の後ろに葬られた人物(豊臣秀吉)を連想させている。
- 斬首された首が転がって、体は正面を向いているけれど首が後ろを向いて、「私を殺したのは誰?」と問うている。
- または、死んだことに気付かず目の前の首がない体は誰のものだろうと疑問に思っている様子を表している。
- ただし、この「しょうめん」の部分の歌詞は、一部の地域では「しょうねん(少年)」とする場合もある。
- 明智光秀の出身地(岐阜県可児市)から日光(日光東照宮)の方向を向くと、「後ろの正面」はちょうど、日本で唯一、明智光秀の肖像画を所蔵している本徳寺がある大阪府岸和田市(貝塚市)になる。